マルゴト陸前高田

【陸前高田と出会う vol.2】精一杯、まずは自分でつくる

小泉木工所 中村 多一さん

小泉木工所建具の製造販売を行っている、小泉木工所。小泉木工所は、釘などを使わずに木と木を組み合わせて、様々な模様を表現する伝統技術「組子細工」の技術を持つ職人、中村多一さんが営んでいます。

今回お話を伺ったのは、陸前高田市竹駒町にある小泉木工所、代表の中村多一さん。

中村さんは、釘などを使わずに木と木を組み合わせて、様々な模様を表現する伝統技術「組子細工」の技術を持つ、数少ない職人のうちのひとりです。2016年には岩手県内で極めて優れた技術を有し、他の模範となる技術者を顕彰する「卓越技能者表彰」を受けたほど。マルゴト陸前高田が提供しているプログラムでは、中村さんから組子細工の技術を指導いただきながら、コースターづくりを体験することができます。

師匠と仰ぐ先代から「小泉木工所」を引き継ぎ、優れた技術を用いて建具の製作を行っている中村さんの仕事に対する想いをお聞きしました。


工場に立つ中村さん

——まずは中村さんがどんな仕事をしているか教えてください

私は基本、大工ではなくて、根っからの建具屋。組子細工を使うのは、欄間や障子を作るとき。今では組子細工の入った照明器具やつい立ても注文があれば、作ってる。

組子細工は下ごしらえのひし形がちゃんと作れるようになって、手作業で組めるようにならないと、応用して機械で作るのも難しい。だからなかなかできる人が少ないんだよ。


組子細工を説明してくださる中村さん

——この仕事を始めたきっかけはなんですか。

ここに入った理由は、あまり勉強が好きじゃなかったのと、私ね、模型とかが好きだったのね。特に、飛ぶもの。小学校か中学校くらいからやってたかな。設計図なしで、自作でね。

昔はそういう飛行機の模型を買おうとすると1機で何十万としたからね。今は材料買って作るよりも、ただ買ったほうが安いもんね。バルサっていう軽い外国の木があるんだけど、それを薄っこくして、骨組みつくったり、胴体つくったり。それで飛ばすんだけどさ。

まあそうして、木工が好きだったから、木工やってるところどこかないかなって、探していたらここが見つかって。先代の師匠である小泉 つとむ(漢字確認)さんのお父さんが気仙大工の棟梁で、お父さんに弟子について、28歳まで大工をやっていたらしいんですよ。それから転業して、建具をやり始めて「小泉木工所」を立ち上げたって聞いてます。それがちょうど私が生まれた昭和34年のこと。それから15年後、私が中学校卒業してすぐに15歳でここに就職しました。


震災後、移転した現在の小泉木工所の姿

私が入った頃は先輩の人たちから「教え方がわからないから、教えられないぞ」って言われたの。だから見よう見まねでやっていくしかないんだよね。ある程度できるようになってきたら、他の同業者のところを見に行ったり、いろいろな種類の仕事をやってね。私は家具屋にも手伝いに行ったことがあった。仕事忙しいから手伝ってけろってさ。1ヶ月も手伝いに行くとすぐ覚えちゃってね。あとは自己流でいろんなものが作れるようになって。だから同じような細工でも他の人がどうやって作ってるかはわからないんだよ。自分なりに型をつくってやってるから。

それでも、2000年には一級技能士を取って、2001年にグランプリの要請が来て、出場して、1位を取ったこともあるんだよ。同級生にはよく「自慢の同級生だ」って言ってくれる人もいてね。嬉しいよ。


気仙杉の無垢材から繊細な作品を生み出す

——その後、師匠の小泉さんから中村さんが継がれるのですね。

震災で工場も全部無くなって、職場がないんだから、立ち上げるしかなかったのさ。師匠は高齢になってまた作り直すのは難しかった。小泉木工所は株式会社とかじゃなくて、個人経営だから引き継ぎもできなくてね。だからどうすっぺなって言っていた矢先の震災だった。だから屋号は継いで、自分が立ち上げてね。建物だけは、市の補助を受けたけど、機械とかは全部実費で揃えて。今の工場が建つまでは、気仙沼の同業者のとこ借りて、1年と2,3ヶ月。ちょっと今では考えられないけど、家に帰ってくるのは毎日22時ころだった。ここができたのは2012年の8月。床を張って、買った機械持ってきて設置して。全部自分でやったからね。


中村さんが手作りする道具たち

——まずはなんでも自分で作ってみる。中村さんが本当にものづくりが好きなのだなということが伝わってきます。

本当になんでも手作りだよ。普段使う道具だって、ひとつひとつがほとんど手作りだから。作る家具に合わせて、作っていくんだよ。だからまあ、なんで続けられるかっていってもね。なんだろうね。嫌いな仕事ではないよね。つくるのがね。まあ精一杯やってるだけなんだよな。